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February 28, 2006

ことばにまじめ

ある言語学者(日本人・男性)のコラムより。

中国人の奥さん(この方も言語学者)が夕食時にいつも「どれが一番おいしかった?」と聞く。う~んといつも考えてからいろいろと答えるのだけれど、それが奥さんには不満らしい。というのも、奥さんとしては、「どれが一番おいしかった?」というのは、会話のきっかけに過ぎず、別にその答えが重要なのではなくて、話を途切らせないことが重要なのだと言う。それをきっかけに話を膨らませるのが目的。だから、軽く答えればいいのだと。

質問されるとつい誠実に答えようとしてしまって、一つ一つの答えを重く考えてしまう。日本人はどうも言葉に出すことを重く捉えがちなのではないか、というのがその言語学者の弁。

さらに・・26-27日と学科のワークショップがあり、地方に団体バスで行った際、バスの中で時間をもてあまし、隣に坐ったM先生(日本人・男性)と話す。

なんとなく出てきたテーマ。「なぜ日本にはキリスト教は根付かなかったのか」(バスの中で話す内容にしては重い・・・)

M先生の意見としては、「善」と「悪」という二項対立、「正義」・「善」だけが救われるという弱者を排斥する思想が日本人の思想に合わないのではないか・・・とのこと。

確かに、「善」と「悪」とを二分すること、それを公言してはばからないことは、どうも日本人の思考にあわないのかな、と思うこともある。

もっと明確にしようとすれば、「善」と「悪」とを二分することそのものより、、「善」と「悪」と二分することを言葉として表明することに抵抗があるんじゃないかと思います。これはあくまでも私の感覚ですが、日本人には、「言霊思想」というか・・・、言葉にしてしまった時点で現実の事実として成立してしまう、という感覚が強いのではないかと思うのです。だからこそ、冒頭のコラムのように、言葉にすることを重く捉えてしまう。言葉で表すことと、現実として成立してしまうことを同一視しているというか・・・。(忌み言葉とか多いのもそういうのが関係あるのか・・?)

逆に言えば、言葉そのものを恐れ敬う、畏敬の念を抱くという感覚を持っているのかもしれません。言葉に対してまじめに向き合っているような気がします。(時には生真面目に・・)よく言われる「日本人はあいまいだ」というのも、言葉そのものに畏敬の念を抱いているからこそ、明確に述べることを恐れる、という思考が裏にあるような気がします。言葉と現実の間の距離がないと考えるから、言葉にしてしまうと現実として成立することを恐れているというか・・・。私はこの「日本人はあいまいだ」というのをあまりネガティブにとらえてはいないんですが。

他の国のことはよくわかりませんが、言葉と現実との間に距離を保っている文化の中では、案外はっきりと何でも言えてしまうのかもしれません・・この辺りはもうちょっと検討が必要そうです。

ともあれ、冒頭のコラムとM先生との対話、ちょうど「日本人はことばにまじめ」というキーワードでくくれそうだったので、メモとして残しておきます。まだ考えがうまくまとまっていないんですが、このキーワードで解ける現象は他にもいろいろあるかもしれません。

別々の話が、こうやってリンクしたりするのがすごく面白いです。ワークショップ、夜3時近くまで飲んで騒いでしていましたが、私の中ではこの二日で有益だったのはこのバスの中の会話だったりも(以下省略)。

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Comments

キタ━━━(゜∀゜)━━━━━━━━!!!
はい、そういう話題大好きです。w
言霊キタ━━━(゜∀゜)━━━━━━━━!!!

諸事情でこの冬休みは宗教をかじったのですが(涙、
まさにジャストミートでそういうテーマでした。

仏教は受け入れられたのに、キリスト教はなぜ根付かなかったのか。これにはまず大きな要因として、神道という日本に古来より伝わる「宗教のようなもの」が関連してくるかと思われます。キリスト教が根付かなかった理由を簡単に言ってしまえば、多神教である神道と一神教であるキリスト教とがどうしても折り合いがつかなかったため、と言えるとわたしは思います。排他的であるキリスト教は寛容な文化を持つ日本人には受け入れられるはずもなかったのだと思います。

そもそも神道は唯一絶対の神を持たず、一神教のように「善・悪」を裁く超越した力を持つ神がいないことから、決定に自信がない宗教だと言えると思います。・・・と長くなりそうなので、またお話しましょ・・・w

回し者じゃないですが、
井沢元彦著(2005)『仏教・神道・儒教集中講座』徳間書店 
井沢元彦著(2004)『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』徳間書店 
は、相当わかりやすいです!超おすすめです。(*´∇`*)
神道関連で数冊読んだのですが、上の2冊は本当に感動的にわかりやすいです。ま、井沢氏の一意見に過ぎませんが・・・


冒頭の疑問文。
確かに挨拶のような疑問文に対しても、誠実に考えてしまったり・・・韓国の「밥 먹었어?」とか。でも、このエントリー読んで考えて気づいたんですが、日本人の「おでかけですか?」「ええ、ちょっとそこまで」のように、日本人だって同じことしてんじゃん!で、ちゃんとごまかしてんじゃん!と気づきました。文化と言葉と宗教は三位一体ですぬ。深い!おもしろい!!

ありゃー長くなりました。すみません;

Posted by: きたむ | February 28, 2006 at 04:42 PM

>きたむ
おおおおおお。熱い反応ありがとう☆
うん。韓国でキリスト教がここまで(40%ぐらいだっけ?)根付いたことと、日本で根付かなかったこと、すごく象徴的だな~と思ってみてます。
前に、ほぼ日で中沢新一が「日本人は精霊とか神とか超越したものの存在を自分の内部に認めたのだ。日本人は宗教を持たないんじゃなくて、一神教の神を持つ、つまり神を人間の外側に持ち出すことを選ばなかったんだ」というようなことを言ってて、ふ~んと思ったものの、あんまりよく理解できなかったんですが、きたむのコメント見ててなんとなくわかってきました。アリガトウ。
それに神を持たない儒教がからんでくるとよくわからなくなるので、参ってました。お勧めの本、興味おおありです。アマゾンでチェックしてみると・・・マーケットプレイス出品あり!よし、購入リストに追加です☆

えっと、冒頭の疑問文。そっか。「お出かけですか」にはうまく答えられてるなあ~。う~ん。日本人の「ことばへのまじめ度」の反例か…。早急な結論は禁物ですな。
なんかこのキーワードでもう少しいろんなことがクリアになるといいなあと思ってます。
またいろいろ教えてください~。

Posted by: なが | March 01, 2006 at 11:40 PM

井沢氏は学者ではないので著書に関しては批判もあるみたいなんですが、おいらのような無知の塊の最初の一歩には最適な著書でした。どこまで調べて書かれたかはわからないですが、専門家が書いたものより間違いなく読みやすいです。とりあえず脳に入れた概要から批判なり肉付けなりして、いろんな視点から日本人を見ていきたいなぁと思っております^^

「子は怪力乱神を語らず」
上の孔子の言葉などから、儒教は儒学、学問であって宗教ではないということが言われることもありますが、儒教が重んじる徳目の中の「孝」は、祖先や父母を大切にすることで、祖先を祀るために子孫を絶やさないようにしなければいけないという考え方であり、そういう科学じゃ証明できない祖先祭祀のような行為が認められている点で儒教は宗教であり、祖先神崇拝と言われる所以みたいですね。怪力乱神は語らないけど、祖先神は語るみたいです。

政教分離とはいっても、宗教が人間を作り、人間が国を作るわけだから、結局は宗教が国を作ってるんだなーと思った冬休みでした。。。新学期もがんばっていきまっしょいヽ(*´∇`*)ノ

Posted by: きたむ | March 02, 2006 at 11:41 PM

>政教分離とはいっても、宗教が人間を作り、人間が国を作るわけだから、結局は宗教が国を作ってるんだなー
うん。そうだね。宗教って正しいとか正しくないとかの理屈を超えちゃっているから、というか、人間同士の関係を超えちゃっているから、時にすごい力を持っているし、時に厄介だよね。例えばキリスト教の「神を介して1つ」みたいな思想は、果たしてヒト一対一の関係が近いんだか、遠いんだかよくわからなくなってしまいますね。世界のニュースを見てても、ええ?ここで神?みたいなところで、神を持ち出して、お互い違うルールの中で話しているからもはや理解不能ってこともあるし。

今の状況と宗教との関係、だれかわかりやすく説明してくれないかな~(他人任せ?^^;)と思っていました。井沢氏の本たぶんちょうどいいと思います。アリガトウね~☆

Posted by: なが | March 05, 2006 at 11:00 AM

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