変化と劣化
少々過激なタイトルかもしれません。
「○○て変わったこと」というタイトルで作文を書いてもらったときのある学生さんの作文から考えたことです。
私としては、「大学に入って変わったこと」とか「軍隊から帰って変わったこと」とか無邪気なものを予想していたのですが、彼が書いてきたのは「日本から帰ってきて変わったこと」。
その学生は2歳から10歳まで日本で過ごした経験を持っているのですが、韓国に帰ってきたときに、日本と韓国の経済的な差や文化的な差にショックを受け、周りの韓国人の友だちに馴染みたいという気持ちと、馴染むことが自分が劣化していくことにつながるような気がして、変わりたくないという気持ちとの間で、悩まされた、ということでした。
国の間に優劣はないと考えたいところですが、今から10年以上前のことなので、「国の豊かさ」と言う面では、まだまだ差があった時代だと思います。10歳ぐらいの子供であれば、自分の周りの世界が世の中全て、のような時期でしょうから、客観的に見て、自分のいる世界が劣って見えたとき、かなり切ない気持ちになったんだろうなあ、と思います。子供ながらに二つの世界を相対的に見れてしまうのは、大人が思っているよりずっと重いことなのかもしれません。
「韓国に馴染むことが自分の劣化につながると思った」という彼の率直な意見にはもろ手を挙げて賛成というわけにはいきませんが、変化が必ずしも前向きじゃないかも・・・と思ったときの切ない気持ちはなんとなく分かる気がします。
結局、彼はとにかく本を読むことで解放されようと思ったとのことで(彼の言葉を借りれば、小説の世界に逃げようと思った)、おかげで(?)彼の日本語の作文の表現力は私も完敗・・というほどなのですが・・・。
ふむ、この問題、なんとなく頭を回っています・・・。


Comments
変化が成長って思えないとき・・・ ほんとに切ない。
適応しないと辛いし、した方が楽だから、したいんだけど、
積極的にいいと思ってそれに近づくわけじゃないから
変わりたくないような気がして、変わることが怖くて、
どうして変わらなければいけないんだろうってとこから
否定したくなったりして。
いろんな理由を見つけてきて自分をだましだましやってる
20代のおいらでさえモラトリアム渓谷に落ちる。でも、
いざとなればその環境から自力で抜け出すことができる。
それに比べて理由を見つけることもできず、その環境から
自力では逃げられない10歳の子の心の負担っていうのは
想像をはるかに超えるんでしょうね・・・。
ずっと同じ国で生きて揺らぎないアイデンティティを持つのと
行ったり来たりしてアイデンティティの置き場に悩むのは
もちろん後者の方が辛いことではあるけれども、どっちがいいか
と問われればどっちがいいとも言えなくて、むしろ後者の方が
いろいろなことを考えていて人として面白い人間な気もする。
確実に辛いけど。10歳の子どもには周囲は関係ない、自分は
自分、なんて建て前は通用しないし。
この子みたいな環境にある子って結構多いじゃないですか。
この子たちが背負う問題に、答えはあるんでしょうか。
誰か答えてくれるんでしょうか。・・・(´;ω;`)
毎度のことながら、コメント長くてすみませんㅋ
Posted by: きたむ | June 27, 2006 at 11:16 AM
10歳の子で、「変化が劣化になる」と思ったときの気持ちを考えると、本当に切なくなってしまいます。
でも、そこから頑張って自分を成長させてきたんだろうね。その学生さん、偉い!!
でも、その学生さんは自分で自分を納得できているのでしょうか・・・。結果的に自分が納得できていればいいんだけど・・・。
私も、色々と考えさせられました^^
Posted by: mine | June 27, 2006 at 06:31 PM
>きたむ
コメントありがとう。この記事に関しては、なんとなくきたむの意見を聞きたいなと思ってました^^。
そうなんだよね。「変化」って必ずしもプラスの方向とは限らないってことはまず前提にあると思うんだよね。それを時々忘れて「変われ、変われ」と言ってしまう。変化というものに絶対的なベクトルはなくて、ある方向から見れば、プラスなんでしょうけど、また逆の方向から見れば、「逆行」ということもあるわけで。
特に異国の場合、「適応する」ということと「自分を失う」ということが表裏一体のような気がしてしまうよね・・・特にその適応の先が自分が求めているものではない場合・・・暗澹としてくるなあ・・ふぅ。
たぶん日本から帰ってきたとき「よそもの」扱いされたと思うんだけど、それに対抗するには「日本にいた自分」を肯定するしかないよね。でもそれを続けるといつまでもいなきゃいけない場所(きたむの言うように子供は逃げられないものね)である韓国になじめない。
彼といろいろと話していて思うのは、一生懸命自分の置かれている立場を、客観化して、なるべく公平に理解しようとして、もがいているうちに、なんとなく「かっとなる」とか「すごくかなしい」とかいった自分の主観的な感情が遠ざかっちゃったような・・・なんかそんな感じがします。なんか「冷めている」とはちょっと違うけど、そんな感じ。何かを脱しちゃったんでしょうね。
周りの大人にできることって、そういった葛藤を持つことを肯定してあげることぐらいなんかなあ。こんな問いには本当に何て答えられるんだろう・・
長いコメントがえしで失礼。なんか・・・うん、頭をめぐってます。
Posted by: なが | June 27, 2006 at 11:35 PM
>mine
納得していたのかどうかはわからないけれど・・・「その過程を通った」ということは事実で、そのことは彼の自信にはなっているんだろうね・・・。どんな経験であれ、それを経験したこと自体は血となり肉となり・・・でも、それは大人の目から見てそういえる結果論であって、その渦中にいる人には血だか肉だかわからん!!!という感じなんだろうしなあ。
うちの学校は、異国で過ごした経験を持っている学生が多くて、私のほうが「そうでありますか・・・・」と教えてもらうこと、多いです。そういう子たちって、今は「日本語喋れていいなあ」といわれてるんでしょうけど、「いいなあ」どころじゃない苦労、しているんでしょうねえ。
っていっても、こっちが心配するほどのこと全くなく、「100%エンジョイしました!」みたいな、全くストレスフリーな学生もいてちょっとおかしいんだけどね^^;
Posted by: なが | June 27, 2006 at 11:46 PM