ことばが作る空気
教育大学院の卒業生と久しぶりの食事。みなさん、教員試験(この競争率は今年は20倍ぐらいだそうです)を終えて、一息ついているところ。このところ、「試験どうだった~」と、みんなに会う機会が続いています。
その日は2人だったので、気軽な食事。韓国語と日本語が行ったり来たり。相手が日本語がとても上手だと、「わからなくなったら日本語混ぜればいいや」とかえって気軽に話せたりもします。
不思議なことに、教育大学院のみなさんと会うと韓国語で話すことが多いです。学部生とは韓国語で話すことはまずないかも。(飲み会でふざけて話すことはありますが・・・^^;)別にポリシーというわけじゃないんですが、大学院生のほうがはるかに日本語上手なんだけど・・・、学部生には「日本語」を教えている、という感覚からか、なんか日本語で話してほしい、と思ってしまうんですよね。私の中途半端な韓国語もなんか学部生の前では恥ずかしいっていう気持ちもあったり。「日本語」を教えていると、やっぱり韓国語もちゃんと話さなきゃという意識がどこかにあるのかな。
逆に大学院生の前では、「日本語そのもの」を担当していたわけではないからか、あと教師というよりも同業者という感覚からか、同世代の友達(事実卒業生はたいてい友達化してる・・・)という感覚からか(実際話題も「最近疲れやすくなってるんだけど、なんかいい漢方薬ある?」とかそんな感じ^^;)、気軽に話せれば、変な韓国語でもいいや、という感じがどこかあります。
来た当初は韓国語がまったくできなかったので、みんな日本語で話してくれてたんですが、いつからかチャンポンに。それで、大学院生の方にああ「이제 한국말로 이야기할 수 있어서 너무 편해~」(これ、訳しにくいんですが、「韓国語で話せるから楽だわ~」という感じかな)と言われたときのこと、今でもよく覚えています。
この「日本語で話してくれてる」感が本当になんとも辛い時期がちょっとありました。気にしない人はたぶん全然気にならないし、別に気にすることでもないような気がしますが、私が話の輪に加わることで、日本語に話が切り替わる、「空気が変わる」という感じがなんとも申し訳ない、というかなんというか。今思えば日本語もみんなぺらぺらなんだし、気を遣ってくれてるっていうこともなかったんだと思うんですが、一瞬、ほんの一瞬なんだけど、空気が変わる感じが。
これも個人差もあるようです。私の学校に2人の日本人の先生が同時に去年いらしたんですが、一人の方が私が感じたようなことをちらっとおっしゃっていて大きくうなずいてしまいました。学生の輪に入ると「日本語を話さなきゃ」という空気が生まれて、学生に負担をかけているような感じがすると。もう一人の先生はぜんぜん気にしない。がんがん日本語で話しかけていく。
話したいことが言えない、とか単語が出てこないとか、というのは別に、この空気が変わる感じが、ひとつの「ことばが話せない自分・・・」を感じさせる要因(劣等感??)にもなるんだな、ということ。そういうことに敏感であった方がいいのか、別にそんな必要はないのか、はよくわからないけれど・・・。私の中に残ったその感じは、覚えておきたいし、日本語を教える上でどこかでそんなことを感じる人(学生さん)がいるかもしれない、ということは覚えておきたいような気がしています。


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