April 16, 2007

久しぶり―!の次

院生時代(韓国に行く前)の韓国人の友達Jさんと久しぶりに会ってきました。

Jさんには韓国に行ってからも、特に初期はいろいろな面でお世話になり・・・、いい友達にも引き合わせてもらったし。日本にいたときよりも、やっぱり韓国に行ってからのほうが、共通項ができたと言うか、仲良くなれた気もします。

もう日本生活もかなり長くなってきたJさん。もう日本語はぺらぺらだし、韓国語が出て来ないということすらあるらしい。

さて、久しぶりの再会は、馬場の駅だったのですが、雑踏の中での第一声。

J:久しぶり~!

そして、その次は

J:あれ、やせた? (いや実際は日本に来てかなり太ったと思うが)

この久しぶりの次の言葉で、私としては韓国に戻された感じでした^^。なんか懐かしい、これ!という。というのも韓国の友達に会うと、まず出てくる言葉が大体こんな感じ。(ひじあたりを触りながら言うこと多し)

例:久しぶり―!あれ、太った?/痩せた?

久しぶりー!あれ、髪切った/その髪、○○だね (あんまり似合わないね、とかも可)

久しぶりー!あれ、その服/かばん/帽子・・・、○○だね

・・・と、久しぶりの次は、外見について一言呈す、という感じだったのでした。韓国にいたときに、ちょっと気になって、待ち合わせのメッカみたいなところで、約束している人々を観察してみたことあるんですが、女の子たちの会話はだいたい上のどれかに入っていて、まず外見について、一言、だったような。

日本語ぺらぺらの韓国人に囲まれていた韓国生活でしたが、いくらぺらぺらの日本語で話しても、こういった話の展開は、やっぱり韓国式だったりするんですよね。それはかならずしも直さなきゃならないわけではないことだとも思うし。逆に、その展開の仕方に慣れてしまった私としては、日本の友達に会うとき、「久しぶり―!」のあと、あれ、なんて言うのが普通だっけ?と思うことも。(本当に日本語式だとなんと言うのがいいんですかね!?)

ここのところ院の生活に疲れ気味だったJさん、日本の大学院って・・!と吐き、私もでもさ―韓国だって・・・!と吐き、お互いを知っているからこそ、わかるところが多いし、結局どっちもどっちなのね、と妙にすっきりした気分で別れたのでした。

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December 29, 2006

うまずたゆまず

また出てきました。「うまずたゆまず」

冬休みのクラスで初級の作文を担当しています。

初級のシンプルな、単純な文の中に突如登場する

「うまずたゆまず頑張ります」

^^・・・・・・。

こちらにきてからこの「うまずたゆまず」に出会ったのは、1度じゃないかも・・・。初級の文型の中に登場するこれ、なんか好きなんですけどね^^;。他の文体との違和感、これは結構「詩的」かも、と思ってしまう。

原因は韓国語で使う「꾸준히」(こつこつととか・・・ぴったりした訳がないですね・・・。)の訳が「うまずたゆまず」って出ているんですね。私の持っている電子辞書(Primeが入ってる)でも「꾸준히」の一つ目の訳がこれ。今はほとんどの学生が電子辞書を持っているし、その電子辞書のバリエーションもそんなに多くない。同じメーカーの電子辞書を持っている学生からはコピーペーストのように「うまずたゆまず」が量産されてしまうんですね。

ところで、さっきBSでやってた「詩のボクシング」見てました。「ことば」で戦っている人を見るのは非常に気持ちよい!特に、その場で題が与えられて即興で詩を作ってた決勝戦は、詩が生まれる瞬間を見てしまった、という感じでおもしろかった!詩で戦っちゃおう、と・・・・これ考えた人、すごいな-。こういうシンプルな発想、いいな-。

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October 08, 2006

絶対―相対

今学期はビジネス関係の日本語を担当しているせいか、敬語表現が頭の中をぐるぐるめぐってます。いったいなにがどうしたら「丁寧」なのか・・・。回路の配線があまりにも多くて、私はとても自分では考えようとは思いませんが、研究する人が多いのはわかる気がする・・・。もっともっと研究して整理してほしい・・・(←人任せ)

日本語と韓国語の敬語表現の違い(といっても私にはよく言われていること以上の違いは説明できませんが)の原稿を作っていて・・・日本語の相対敬語っていうのは、絶対敬語の国の人、韓国の人にはやはり理解が難しいだろうなあ・・・と改めて思う。他の会社の人前では自分の会社の社長を呼びつけ・・・、社長と二人のときはもちろん社長に敬語・・・これはなかなか難しい・・。

思ってみると、この「相対」と「絶対」という価値観(?)、敬語だけの話だけでなくて、いろいろなところに染み付いている気がする。私自身が感じる堅苦しさというのの要因の一つはこの「絶対」というものにあるのかも、とも。

そんなことをふと考えたのは、あるエッセイを読んでいたことなんですが、それは、(うろ覚えですが)

その筆者がフランスの修道院の近くに行ったときのこと。貧民街のようなところがあり、足の悪い女の子がいた。どこかの施設からか配られた簡易的な服を着ていたが、その服の生地には「私は恵まれない、哀れな、卑しい子です」と言った文句がプリントされていた。もちろんその文字をプリントしようということ自体が信じられないことではあるけれど・・・その子はフランス語を理解できるばっかりに、その言葉に苦しむだろう。言葉を知らなければ救われることもあったかもしれない。そう考えると、自分たちがよかれと思ってしている教育も必ずしも全ての人によいものとなるとは限らないのではないか・・・・

と言った趣旨のもの。かなり極論ではあるけれど、私としては、何か腑に落ちた。「自分のしていることなんてたいしたことないわ」と卑下する必要はないけれど、「必ずしもよい効能を生むとは限らない」「状況によって価値は変わりうる」という前提って実は必要なんじゃないかなぁと。絶対的に価値があるとは誰も言い切れない、ということ。

韓国に来たばかりのころ、どの場であっても「先生」であることを強いられてすごく窮屈だった覚えがあります。特に大学院は私よりも年上の人も多いし、私は教室を出たら逆に学生さんたちにいろいろ教わることが多いなあ、と思っていたのですが、周りの「教授」はそうではなかったようで・・・。「先生らしく」と何度も言われていて。学問の上では仮に何か教えることがあったとしても(また語学教師の場合少し違う気もするけど)、それが人生においての上下関係とは何ら関係ないと私自身は思うんですが(そもそもそんな上下関係ないし)・・・このあたりも「絶対」がどうも窮屈に感じた要因だった気がします。

「先生」つながりで思い出したんですが、大学時代の哲学だったかキリスト教だったかの先生(たしかスペイン人の牧師の先生。仕草がカメに似ていたので友だちとカメ呼ばわりしていたので、本名を覚えていない^^;)が、「コーヒーがここにあるとして、私は砂糖を入れて甘くすることはできない。私ができるのはそこに沈んでいる砂糖をスプーンでかき混ぜることぐらいです」と言っていたのを思い出しました。ここには先ほどの話とはちょっと違う要素も混じっていますが、このスタンスのほうが自分にはしっくりくる気がしています・・・。

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August 30, 2006

心の種

あることばを初めて聞いたときのイメージがそのままずっと残るってことはあると思うんですが・・・

私の場合はこれ

마음씨 マウムシ

訳としては「心」「気立て」…とかになるんでしょうか。「マウムシがいい」というと「気がいい」とか「気立てがいい」ということになるんだと思います。で、「마음」(マウム)自体が「心」という意味なんですが、씨(シ)はたぶん「種」でしょうか・・・・。

が、最初聞いたとき「씨=氏」と思い込んでしまったんです。マウム氏・・・・。それでいつも「マウムシ」というと「マウムさん」という人が心の中で動いている絵を想像してしまいます。ちなみに씨=種に気づいたのはずいぶん時間がたってからです・・・。

ところで、「マウムシ」。日本語でも「心根」という表現もあるから、心の中に何かシンのようなものがあって、そこから感情なり理性なりが育つと発想は同じなのかもしれないですね。その「心のシン」は「種」あるいは「根」=「持って生まれたもの」(もっと発展させていけば、性善説なり性悪説なり・・)という発想につながるのかどうかは・・・う~んよくわかりませんが・・・。なんか「心」をどう捉えるか、と日本語あるいは韓国語の発想、関係あるのかなぁ・・・。どうかなあ。

さて、8月最後の最後になってまたもやビザの問題でばたばたしています。

また、人の「マウムシ」について考えます・・・・。

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March 18, 2006

名前が先か、概念が先か・その後

「もしかしたら、韓国には「ウザい」の概念がない?」との疑惑ですが・・・・

本当に対応する言葉がないのかどうか、今のところよくわかりません・・・。

昨日、ドラマ『1リットルの涙』(泣ける!と聞いてダウンロードしてみました。まだ1話目だからよくわからないけど・・期待!)で、

父親にあれしろ、これしろと言われた主人公の妹が「もうお父さんウザ~い」というところがあったんですが、韓国語字幕は

「듣기 싫어~(聞くのやだ~)」

ふむ。これだとやっぱり、「(自分の気持ちが)いいか、いやか」しか出てこなくて、「相手の干渉をけむたく思う」っていうニュアンスが出てこないような・・。相手の干渉?攻撃?(ありがた迷惑的)好意?あっての「ウザい」だからなぁ・・・。

というわけで、今のところ、「ウザい」に対応する韓国語はない説、有力です。

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February 22, 2006

なっちゃん

日本語と格闘中&独自の路線へ迷走中のJ氏。

昼休み電話をかけてきた。第一声が

J「앞으로 「なっちゃん」라고 불러도 돼?(これから「なっちゃん」と呼んでいい?)」

・・・・・・・・???

まあ、悪くはないけど、「なっちゃん」と呼ばれたことは今までの人生で一度もないと答えると、「しゅん・・・・ふーん、そっか・・」といった様子。

聞くと、最近見た日本のドラマの中に「なつみ」という女の子が出てきて「なっちゃん」と呼ばれていたそう。それで、私も「な」つながりで「なっちゃん」と呼んでもいいかと思った、とのこと。

なんか思いの外、しゅんとしていたので、もうこの際しばらく「なっちゃん」と呼ばれてみるか、とも思ったけれど、なんか呼ばれなれてなくて心地よくないので、

「なつこ」とか「なつみ」とか「なつ」の「つ」が小さくなって「なっちゃん」になるんだよ。私は「なお」だからだめ。

と一応説明すると、「そっかあ(日本語・これだけは流暢)」と腑に落ちたような落ちないような。

これは日本語の授業中にも感じたことなんですが、韓国では名前をアレンジして呼ぶということがあまりない。たいていは「ウンギョン」とか「ウナ」とかそのまま名前で呼ぶ。「ちゃん」のようなものをつけるとしたら「ア」をつけて「ウンギョンア」とアレンジするくらいだ。日本語だったら・・・例えば「あきこ」さんは「あきこちゃん」「あきちゃん」「あっこちゃん」「あっちゃん」「あーちゃん」と「ちゃん」だけでもバリエーションが多いし、呼びたかったら「あきあき」「あっきー」(←これはさすがにないか?)と、なんなりと。これで苗字の方で呼ばれることもあるから、バリエーションはかなり広がる。

日本の小学校や中学校だったら、自己紹介のときに「○○と呼ばれています。○○と呼んでください」とか言うこともあるけど、これを韓国で日本語の授業に持ち込もうとすると、どうも・・・(もちろんニックネームをつけよう!とか違う名前を考えよう!とかはありです)。

聞いてみると、韓国では、「名前は親からもらった大事なものでそれをいじるのはちょっと・・・」という考えがあるみたいです。名前のアレンジは「汚す」につながってしまう・・・のかな?

自分の小・中・高を振り返ってみても、名前の呼び方がいろいろあったり、かわいい呼ばれ方があるといいなあ~なんて思ったものですが。名前の呼び方とその人のキャラが近づいてきたり・・・・。日本では名前の呼び方、アレンジは「親しみ」だし、呼び方は、極端に言えば、「その人をどう捉えているか」を表明すること、もっと極端に言っちゃえば、相手との関係性を築くこと、につながると思うんですけどね・・・。呼び方の捉え方の違い、興味深いです・・。

ともあれ、「なっちゃん」は却下。次にどんなアイデアが出てくるか・・・楽しみでも、ちょっと怖くもあります・・(日本語の名前の呼び方のルールの習得過程・・ちょっと知りたい^^・・・)

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December 12, 2005

共感を示すということ

大学院時代の数年間、細かい日本語のニュアンスについて、こだわり、またこだわることをよしとしてきたので、ものの捉え方がちょっと表現重視みたいなところがあった。言葉が豊かな人をすごく評価したり、表現が巧みな人(いい意味で)をすごいと思ったり。そのニュアンスに一緒にこだわれる人をよしとしてきたり。

ところが、ニュアンスどころじゃなく、ものの数え方一つもわからない韓国語の中に放り出されて(まあ自分から飛び込んだんだけど)、そうも言ってられない、というか必要以上にこだわることもないか、と軽く捉えられるようになった気がする。とはいえ、自分のこだわりどころだし、そういうものに敏感でありたいし、やはりそういうものがわかりあえてこそ、理解ができると思って・・・いた・・・はず。だから、やはり韓国語だけのコミュニケーションは苦しい・・と思っていた・・はず。今考えてみて、その結論は・・まだ保留・・。

日本語勉強を始めたとはいえ、日本語で話したら「????」のJ氏との会話は韓国語でしなければならないし、当時(もう前のことだけど)、自分の言っていることも、相手の言っていることもわかったようなわからないような、という感じだったので、ややストレスがたまり気味だった私が考えたこと。「共感ぐらい日本語で示してみよう」

たとえば、コーヒーをおいしいと思うこと(これについては共通見解はないけど)。景色を見てきれいだと思うこと。歌を聴いていい歌だと思うこと。

無性に日本語で、分けあいたくなったのでした。そこで、ただもう私の言ったことをリピートさせることにした。

(コーヒーを飲んで)な「おいしいねー」J「・・おいしいねー」

(きれいな景色を見て)「きれいだねー」「・・きれいだねー」

(映画を見て)「おもしろかったねー」「・・おもしろかったねー」「ねー」「ねー」

J氏としては、繰り返したらいいようだったので繰り返してみた、「ね」をつけてみたらいい感じだったのでつけてみた、という程度だったのでしょうけど、私のほうはそれだけでかなり満足できた。表現は時に方便。「ねー」「ねー」といっているうちに、なんとなく分かり合えたような気になってくる。

相手の発話を繰り返す、「ね」をちょっと伸ばし気味に言ってみる、それだけで、共感を示すことができる。これは初級の学習者にだって十分使える表現なのでは?別に敬語まで勉強してから、終助詞を覚えなくたっていいはず。シラバス(学習項目)の再構築というものがいろいろ言われてますが、「ね」はけっこう前倒しにしたっていいのではないかな、とストレスが解消できた身としては思います。(参考文献:『コミュニケーションのための教育文法』くろしお出版)

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October 19, 2005

「よかった」の混乱

一日何回言っているかわからないほどよくうつあいづちの一つに「よかった」というものがある。

①A:台風が東の方に逸れたらしいよ。

B:あ、ほんと。よかった

とか、

②A:なんとか試験に受かったよ。

B:あ、よかったね~。

とか。その他多数。

言っている本人も聞いた相手も気持ちがよくなる言葉なので、私もよく使っている(と思う)。時には「よかったよかった」と言ってみると、自分も相手もかなり気分がいい^^。

韓国語習い初めの頃、せっかくいいあいづちなので、韓国語でも言ってみようと思い、「いい/チョッタ」の過去形「よかった/チョッアッタ」をとりあえず言ってみた。すると通じない。

よくよく聞いていると、いくつかのバージョンがあるよう。日本語では「いや~よかった!」の一言で終わるものも状況によって言い方が違うのだ。

まず、「タヘンイダ(直訳すると「多幸だ」)」

これは、危ないと予想されていたことが免れて、大きな問題にならなくて「よかった」の時。(①のような状況)

それから「チャル トェッタ(直訳すると「うまくいった」」

これは、何か成功した、よい結果になっって「よかった」の時(②のような状況)

だから、韓国語で「よかったね!」とあいづちをうとうとするとき、ふっと立ち止まってしまう。「え--っと、何か問題が避けられたんだっけ?単純によい結果になったんだっけ?」もっと上級者になれば、そんなことは考えずあいづちが打てるんだろうけど、私はこれを言おうとするたびに、頭の中をくるくるっと何かが駆け巡る。

ちなみに、韓国語ではこの場合、あいづちそのものを打たなくっていい、とも言えるかも。韓国人同士が話しているのを聞いていると、一人が一方的に話しているような印象を受けることがある。日本語はあいづち率がかなり高く、あいづちを打っていることが相手の話を聞いているサインになるけれど、韓国語は相手の目をじっと見、時々こくりとうなづく、ということがサインのよう。なんだか力強いサインだ・・。

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August 17, 2005

「ちゃん」のつけ方

目下、日本語猛勉強中の友人が、名前につける「ちゃん」は、どんな相手につけたらいいのか、と聞いてきた。

・・・たしかに「○○ちゃん」と呼ぶ定義って難しい。

親しむをこめて呼ぶ言い方かというと、そうでもなく、「○○ちゃん」と呼んだほうが親しく感じる相手と、付けない方が親しく感じる相手がいる。自分のことを振り返ってみても、「○○ちゃん」と呼んでくれる人もいるし、つけないで呼んでくれる人もいる。・・・それによって相手との関係性も何か違うような気もするんだけど、何とも言葉にしにくい。

子供につけることは多いし、どちらかというと「かわいらしい」というニュアンスが加わるような気がするけれど・・・。

・・・と、その友人が「BOAはかわいいと思うんだけど、『BOAちゃんの新しい曲いいよね』と言っていいか」と聞く。う~ん、それは友達としてぜひともやめてほしい^^;

名前を呼ぶだけで・・・私たちはその一言に、相手との関係性を表現することができるし、逆に言えば無意識に表現されてしまう危険性もあるんだなあ、と。

ところで、「そういえば、私は姉をおねえちゃん、祖父をおじいちゃんと呼ぶよ」と言うと、「おじいさんに「ちゃん」なんて・・・」とかるーくショックを受けているよう^^; 確かに韓国語では両親や祖父母を~様と呼び、敬語を使う・・・。

そういえば、日本語が上手な韓国人の友達が、「後輩が普通体(タメ口)で話すのはがまんできない」と言っていたことがある。日本語の「ちゃん」にしろ、普通体にしろ・・・礼を欠いた表現ではなくて、「親しみ」の表現でもあると思うんだけど、韓国の方は親しみ=失礼さと捉えがち。「親しみ」の定義ってむずかしい・・・。

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April 19, 2005

冗談の語学力

ある韓国人の友人(わりとまめに返事をする人)から一週間ぶりにメールの返事が来たので

「(返事が遅かったから)前に私が送ったメールに怒っちゃったのかと思っちゃったよ~^^」

…と冗談を込めて(込めたつもりで)書いたところ、数分もしないうちにメールを開いて、あわてたような速攻の返信。

「そんな、まさか。そのような心配はしないでください。―以下理由列挙」

う~ん・・・私の語学力では

「私のメールで怒らせてしまったのではないかと大変心配しております。早急なご返信を」

ぐらいのニュアンスで伝わってしまったのかも。^^マークでフォローしたつもりが、それをしのぐかた~いニュアンスだったのですね…。

仕事の中のやりとりで覚えた韓国語なので、私には気軽なやり取りのほうがすごく難しいのです。まだまだ語学力が冗談のレベルに達していないのに出すぎたまねを致しました・・・。

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April 10, 2005

詩人の予備軍

谷川俊太郎さんの詩のタイトルの中に

「私は生きるのを好きだった」

というものがある。「好きだ」は日本語では形容詞であるから、通常「テニスが好きだ」とか「あの人が好きだ」とか「が」をとり、心の状態を表わす。「を」は当然、動作の目的語をマークする。「を好きだ」とすることによって「好きだ」という感情が状態から一気に動的なものとして捉えられる。生きるということに対する渇望というか貪欲な感じがよく表れてくる。(もちろん、それが過去形であることにより、「そうではなくなってしまった自分」の寂しさのようなものもでてくるのだけれど)

と、谷川さんという詩人はつくづくそういう形式上の表現効果に敏感な方だなあ・・と思います。

・・・が、学生の作文を添削していると

私は私の恋人を大好きです。
私は私の家族を大好きです。
私は日本語の勉強を好きです。
私はお母さんが作った料理を大好きです・・・・

なんとも「動的」な「好き」が連発。。。なかなかの迫力。。。種を明かすと、韓国語での「好きだ・チョアハダ」は分解すれば「よいとする」。動詞であり、目的語は「を・(ル)ル」をとるので、韓国語の母語干渉からの誤用なのですが。。。「好きだ」が状態ではなく動作である辺りも国民性?

「を」の表現効果に心を打たれていた者としては、あやうく勝手に感慨すら覚えてしまいそうになります。もっとも、彼らにはそんな意図は全くないんだと思うんですが。。赤を入れるのをやめて、このまま直ることなく、すくすく育ってほしいなあ~という気持ちもあるのですが、そうもいかず。小さな詩を摘むことは少々つらくもあります^^。

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April 06, 2005

多国籍な日

今日は「植木日」で祝日でした。春らしい暖かい一日です。
以前、韓国語のクラスで出会ったEliseのお宅を訪問。彼女は在米韓国人で韓国語もかなりよく話せます。今は日本語と格闘中で、私と週一回英語・韓国語・日本語のexchangeをしています。ひらがなから勉強し始めた、Eliseが嬉嬉とするのは、彼女のおばあちゃんが使っている(韓国に残っている)日本語をひらがなで書けたとき。「つめきり!」「ようじ!」「おでん!」「たくあん!」と元気にひらがな勉強中。(それはそれでいろいろ複雑な思いがあるのだと思いますが)

今日はElise(在米韓国人)&彼女のボーイフレンド(アメリカ人)、私、Eliseの同僚(韓国人)が集合。それに、同じく以前韓国語のクラスが同じだったbirke(ドイツ人)&ご主人(スウェーデン人)が加わり、みんなが思いのたけを母国語で叫んだら、どうなるんだ?という状況が出来上がりました。

韓国語のクラスで出会った女性陣3人は韓国語で話すのが普通なのですが、パートナーを含めての会合は、最大公約数の英語で。私以外のみんなは英語がとても流暢。一気に私の性格が変わる瞬間です・・・。かなりおとなしい人として認識されているでしょう・・・。

ところで、興味深いのがbirke(ドイツ人)&ご主人(スウェーデン人)。彼女たちの会話はドイツ語でも、スウェーデン語でもありません。(ちなみにドイツ語、スウェーデン語は文法も語彙も酷似で、意思疎通は可能だそうですが)。二人の会話は「エスペラント語」。生まれて初めてエスペラント語を聞きました。二人の出会いはエスペラント語学会だそうな。「響きがフランス語に似ている」と言ったら「実はポーランド語に似ているんだ」と言われてしまった。ごめんなさい、知ったかぶりしました。フランス語もポーランド語もよく聞いたことありません。。。

「誰の母国語でもない言葉を話したい。その時、初めて互いに対等なんじゃないか」とbirkeが言っていたことがあります。確かに、何語で話すかということと力関係って大きな関わりがあると思います。(言語政策関係に少し興味があるのも、韓国語や英語で力負けした経験が大きく影響してるような気が)今日は完全に劣勢だった身としてはますます身に染みる言葉です。

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April 04, 2005

だるまさんが・・・

「だるまさんがころんだ」は日韓共通の模様。眺めていた限り、ルールもほぼ同じようです。
SANY0066

ところで、子供のときから、だるまさんはなぜ「転ぶ」んだろう?と思っていました。そのゲームの内容と「転ぶ」って関係ないよな・・と。(当時から本題に集中せず、脇道に逸れていた)

その答えらしきものを韓国にて発見。(韓国語関係のエッセイにて発見!)

韓国語では「歩いてくる」は「コロオンダ」、「だるまさんがコロオンダ」が日本に入ってきて「転んだ」に転化した、とか。ちなみに「だるま」は韓国語でも「ダルマ」。「が」は韓国語でも「ガ」。・・・なかなか信憑性のある話かも。いや「さん」の部分は、まだ解決していないけど..

韓国人の友人に聞いたところ「なにそれ??」と言っていたので、この説、あまり浸透はしていない模様。でも、子供のとき、遊びながら?と思っていたことの答えらしきものがこんなところにあったとは、当時の自分が聞いたら、さぞやびっくりすることでしょう。

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April 01, 2005

「スゴハセヨ」の効用

SANY0053職場の建物ではお掃除のおばさん(アジュンマ)が日々掃除をしてくれている。ある朝、何の気なしに「スゴハセヨ」と言ってみた。(「お疲れさま」と言う意味のはず)すると、おばさん、「アイゴ~」(「ああ!」とか「なんと!」いう感嘆詞のはず)と思わぬ反応。さらに、「なんと親切な子だろうね」「セサンエ~(数回)」(「ああ神様!」という意味のはず)と続いた。こちらの意図「お疲れ様」をはるかにしのぐリアクション。たぶん、私の「スゴハセヨ」・「アイゴ~」・」「セサンエ~」のいずれかの解釈が誤っているんだと思うけど。思わぬ効果にどきどきしてしまった朝だった。私が伝えたかったのは「掃除をしてくれてありがとう」ということでした、おばさん。

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