これを日本語でなんと言う?
昼ごはん・夜ごはんと毎日「お別れ」が続いています・・・・。
今日は先学期の授業の学生Yさんがお土産にと塩辛セットを持ってきてくれました。おばあさんが塩辛の店を経営しているそうで・・・かきの塩辛、明太の塩辛・・・貴重品!1年分ぐらいあるんじゃないかしら×3という量のものを、よいしょよいしょと運んできてくれたこと、本当にうれしく、感謝です。
日本語を始めて10ヶ月のYさん。それでもお昼ご飯をはさんで2時間ぐらい、一生懸命話してくれて、かつ私も話していて楽しく、疲れなかった。それは彼女の人柄もあるけれど、相当の実力が身についているということですよね。
ご飯を食べてコーヒーを飲んで・・・名残惜しくも、次の用事があったので、お別れすることに。さあいよいよお別れという段になって「えーっと、えーっと」とYさん。
Y「先生、こんな時、日本語でなんていえばいいんでしょう?」
うーん。「さようなら」でもないし、「また会いましょう」というのも・・・・?本当に「さようなら」ではなくて、気持ちのなかでは「またね」、でも、それは確実な約束ではないことをお互いにわかっている「お別れ」に、日本語ではなんていえばいいんでしょう?
そういえば、「また会えますから、「さようなら」って言いたくないです」といって手を握ってくれたかわいらしい学生さんもいました・・・・^^
本当に言葉にできないこの「お別れ」をこの2週ぐらい毎日繰り返している感じです。
もう一つ別のお話。
日本に帰るたびに何冊か持ってきていた文庫本。そのときそのとき、気分に合ったものを空港の本屋で買ってくるのが習慣化していました。そのうち読んでいないものもあるのですが・・・^^;;大量に積まれていまして。。。本もかなり置いていくので、読んでいなかったものや読んで時間がたったものをいまさらながら慌てて読んでいます。
そのうちの一冊。須賀敦子『ヴェネティアの宿』『ミラノ 霧の風景』・・・。
韓国でなぜヴェネティア?ミラノ?と私の本棚の中でもやや浮いた存在になっていたのですが、韓国に来たばかりのころ、外国生活の先輩ドイツに住むRちゃんからの推薦で手に取ったものでした。イタリアで20年近く過ごした後われわれの母校で教鞭をとっていらしたという縁もあってか、勝手に身近に感じて一気に読んだものでした。
たぶん「外国」を眺める彼女の視線がとても凛としていてしっくりきたのだと思います。それがイタリアであれ、韓国であれ。それと、「外国人」であることゆえなのか、出会いとか別れとかに対してすがすがしくて、目の前を通り過ぎていくことに対してそのまま受け止めようとしているのが凛として映ったのか・・な・・・。
読み返してみると、また違うところが目に留まります。それが二度読みの面白さですね。
フランス生活を送る筆者のルームメイトとなった40代のドイツ人の元教師がなぜフランスに来たのか語るくだり。(「解説」でもとりあげられています)
「しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。いまここでゆっくり考えておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ」
AA の部分は人それぞれ思い思いのものを入れればいいと思うのですが。「うっかり人生がすぎる」という外国語をまさに翻訳したような感じのこの表現、この部分が今回は目に留まりました。先に進むことより、今、自分がしようと思っていた・・・とどう向き合っていたんだっけ?これからは?と「いまゆっくり考えておかないと」というのがたぶん今の私の気持ちに近いんだと思います。前読んだときには特に気に留めた記憶がないんですが、不思議です。
さて、残り2週間。荷物を送るたびに少しずつ身が軽くなる気がして、物事が単純になっていくのが、なんだか気持ちがいい気もしています。























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